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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第16回 越後屋

お話:3代目 石川義昭さん(記事公開日:2012年7月18日、文:亀井紀人)

■初代重男(明治後期)

 私の祖父にあたりますが、現在地である神田多町で明治後期に豆腐屋を創業したと聞いています。私が生まれる前に亡くなっていますので、残念ながら祖父と顔を合わせたことはありません。
 祖父の代でのエピソードは、東京新聞の前身だった国民新聞はじめ全部で6誌に掲載された、ある出来事がありました。神田多町一丁目の越後屋の石川重男家の前で湯が沸いた、しかるに神田多町で温泉が出たのでは? という面白い記事が載りました。真相は、筋向いの米屋へ繋ぐ電気の地中線に雨水がかかり、62度の水蒸気となって湯気が上がっただけのこと。大正4年の出来事です。
【大正4年7月7日の報知新聞の記事。この他にも国民新聞、都新聞、時事新報、東京日日新聞、萬朝報が温泉騒動を報じている】

■2代目四郎(明治22年[1889]生〜昭和44年[1969]没)

 私は3人兄弟の末っ子で、一番上の兄とは17歳、姉とは12歳と、年が一回り以上離れていますので、いつも一緒に遊んでくれたのは兄や姉で、小さい頃の父との思い出はそれ程ありません。長男の兄は仕事を継がず、私が父と仕事を一緒にするようになってから、父も年でしたが厳しかったですよ。神田多町は祖父の代から「やっちゃ場」と呼ばれる活気のある青物市場で、越後屋もその一角にあり、豆腐店としてだけでなく物を預かる置屋さんもやっていました。
 食料不足となった戦時中は、家で作った「おから」をご近所さんに只で平等に差し上げていましたね。
正月になると、お節用に擬製豆腐(ぎせいどうふ)を作りました。今はもう殆ど見ませんが、豆腐を崩して水を切り、玉子、砂糖、味醂を混ぜた物に蓋をして焼いて作ります。昭和40年頃まで作っていましたね。
【昭和3年神田錦町警察署長宛の移転許可願書。関東大震災後の区画整理がらみか。電動機装置豆腐製造所区制整理に依り移転改築願とある】
【2代目四郎の肖像画】

■3代目義昭(昭和18年[1943]生〜 )

 戦災で奇跡的に焼失を逃れた神田多町の店を、23歳の時から店を継ぐようになりました。商品は祖父の代から、豆腐、焼き豆腐、油揚げ、生揚げです。一晩水につけてふかした大豆を、翌朝すりつぶし釜で炊き、それをおからと豆乳に分けます。その豆乳ににがりを混ぜ、型に入れたら豆腐ができます。それを、揚げたり焼いたり加工して商品が出揃います。
 代々、言い伝えられていることは、豆はいい物を使えということですね。
 それと私の代になった頃から、他所では炊きを効率のよいボイラーが主流になっているけど、私はそれを拒絶して地釜戸にこだわっています。理由は歴然、味が違います。
 父の代、戦時中「にがり」が手に入りにくくなった時、他所では「すましこ」を代用していましたが、父は頑固に「にがり」にこだわっていました。私も当然「にがり」です。今、当店では室戸の深海水をつかっていますよ。また、焼き豆腐もバーナーで焼くのが主流のようですが、私は炭を使っています。手を抜いては、美味しいものは出来ません。
 以前、仲の良い板前さんと「面白い豆腐、作れないかな」といろいろ試作しました。専用のかくはん器を作り、豆乳を2〜3倍の濃さにして藻塩を混ぜ、海水のにがりで固めた豆腐が出来上がったら、客が皆うまいと。これをバケツに入れ、西口商店街に持っていったら、バケツ豆腐と命名されヒット商品になりました。その後、だだ茶豆、しそ、柚子の豆腐も作りました。バケツ豆腐にバルサミコ酢やオリーブオイルをかけて食べると、また美味しいですよ。お客さんとの会話で教えたり教わったりと、アイデアがどんどん出てきます。有難いですね。
 この商売を継いで良かったと思える時は、何と言っても自分が作ったものを、お客さんがその良さを認めて買ってくれた時、それは嬉しいですよ。
 多町のここで商売をしていますと、お客さんの移り変わりが良く判ります。父と一緒にやっていた頃は近隣の住民が主であり、バブル期に入ると住民が減り、料理店からの大口の注文が増え、そして最近はまた住民。マンションが増えた影響があるのでしょうね。街は様変わりしました。ほんの一昔前は、街の人同士、助け合って生活をしていたのですが。当然、道で会えば挨拶が当たり前でしたがね。
【3代目義昭氏ポートレートと父の代からの擬製豆腐用の鍋。もう40年以上も使っていないが、3代目はまたこの鍋で擬製豆腐をやってみたいと云う】
【祖父の代から今も使われている小銭箱、うっすらと神田神社と祭、節分の文字が】

■4代目賢治(昭和57年[1982]生〜 )

 父と一緒で23歳の時、次男坊の私が4代目として店を継ぎました。アパレルの仕事から、180度の転換でした。父とは一緒に店のやり繰りをしていますが、特段役割のようなものはありません。なんでもやるのが、この店の流儀ですね。4代目として特に父から指導を受けたことはありません。見よう見まねで6年目ですが、まだまだ勉強中です。
 この仕事を継いで良かったと思えることは、やはりお客様から「美味しかった」という言葉を聞いたときですね。私も父に負けず、豆腐の味は変えずに工夫をして、新しい食べ方などにも挑戦して行きたいですね。
 父も私も、生まれも育ちも神田っ子です。マンション化が進み、住民同士の繋がりが薄くなっている昨今ですが、コミュニケーション豊かな住みよい街に少しでも近づけたいですね。
【3代目4代目店頭にて、お揃いで】
【築92年になる、戦災を逃れた味わい深い建物と、熱が全体に回りやすい地釜。越後屋の後の字だけが残っているが、これも愛嬌。ここで今日も美味しいバケツ豆腐が作られる】
●越後屋
住所:千代田区神田多町2-1-4
電話:03-3251-9676

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