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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第3回 株式会社龍名館

お話:4代目 浜田章男さん(記事公開日:2006年1月27日)

■初代

 濱田家の祖先は秩父の商人で、江戸時代後期に日本橋室町に「名倉屋旅館」を開業、その後分家して、明治32年(1899)に神田区南甲賀町(現在の神田駿河台)に龍名館を創業しました。旅館の名は初代、濱田卯平衛の姉の「辰」と、名倉屋の「名」にちなんだ屋号だと伝えられています。当時の貴族院議員や各地の名士の方々の常宿として、また芸術家の方々にも贔屓にしていただきました。
 初代はたいへん新しいもの好きで、庭の一角に西洋館を造り、コックをおいて洋食も提供したほど。妻のうたと共に商売に励み、大正のはじめには呉服橋支店、猿楽町分店を出すほどになりました。 
【創業時の門塀】
画家のお客様のなかには、「ご祝儀だよ」と言って自分で描いた絵をくださる方もいたという。 

■2代目

 大正7年(1918)、濱田次郎が二代目を継承。大正13(1924)年、関東大震災で本店および呉服橋支店、猿楽町分店を焼失。本店は周囲に建物が少なかったため焼失は免れると思われましたが、火の勢いは予想を上回るものでした。2代目は焼け跡に佇み、忍び難い思いをしたそうです。幸運にも当時の顧客から資金の援助を受け、その厚意に報いるためにも再建に励みました。
 昭和に入り再建も進みましたが、時代の景気はよくならず龍名館にとっては厳しい時代が続きます。2階建て8室の新館も建設しましたが、戦争の影が色濃くなりオリンピックも開催中止に。そして太平洋戦争が勃発、本店は一時「大東亜省」の官舎として使われました。昭和20年(1945)、本店以外は空襲で焼失。龍名館は焼け出された人々に宿を提供しました。本店が焼けなかったのは、ニコライ堂のまわりだけは爆弾が落ちなかったせいだといわれています。また、戦中・戦後を通して闇物資には手を出さなかったため食料の調達にも苦労し、お客様には迷惑をかけました。 
【小川町分店の建築建前風景】
初代、2代目が顔をそろえている。いっしょに写っている小さな女の子が後の3代目女将である。 
【昭和初期のパンフレット】
当時の宿泊料は金六圓。旅館の位置を「帝都の中枢、閑静なる駿河台にあり市内を一望の内に収む。弊館前聖橋通りを北に行けばニコライ堂を左に見、神田川の上百尺の高所に架せられたる聖橋にて本郷台に通ず。(略)」と紹介している。

■3代目

 戦後、呉服橋店の再建が進んだ頃、3代目として浜田隆(旧姓・野本)を迎えました。昭和38年(1963)には呉服橋店を近代的なビルに建て替え、ホテル八重洲龍名館とのれんを改めました。昭和40年頃、神田(千代田区)には大小200軒ぐらいの旅館があったと聞いています(現在は数軒になってしまいました)。
 昭和47年(1972)、慣れ親しんだ本店の建て替えを決め、4年後に12階建のビルを竣工。それまでホテルオークラで働いていた私は、本店の建て替えを機に戻ってきました。旅館の規模は縮小しましたが、その後は第2龍名館ビルの建設を経て「花ごよみ」を出店するなど、平成にかけて飲食事業も積極的に展開してきました。
 私から見た父というのは、生真面目で石橋をたたいても渡らないといわれるほど慎重な人でした。代々のれんを守っていってほしいという両親の思いに、若いときは反発する気持ちもありましたが、50を過ぎて私も同じような気持ちになってきました。 
【建て替え前の龍名館】
戦後から続いた木造の外観。旅館の一角に家族も住んでいた。
【建て替え後の龍名館】
龍名館は12階建のビルに(中央やや下の黒いビル)。左斜め後ろに移転前の中央大学駿河台校舎が見える(跡地は三井住友海上火災に)。

■4代目

 平成7年(1995)、私は四代目当主となり、受け継いだ伝統と真心をさらに新鮮な視点から事業に活かしていこうと考えました。弟が社長に就任(平成17年[2005])してからは、私は会長として弟と二人三脚で組織の拡充に努めています。百年の歴史というものは一代でつくれるものではありません。お店の規模が大きいとか小さいとかにかかわらず、のれんは守っていきたいと思いますし、次の世代にも引き継いでいってもらいたい。
 本店の敷地にある槐(えんじゅ)の木は、大震災で焼け焦げたものの間もなく新芽をつけた生命力の強い木で、本店改築の際にも切り倒さないように設計しました。私たちもまたこの木のように新しい歴史を重ねながら成長したいと思っています。 
【本店前に立つ槐の木】
「万緑の槐百年の店守る」浜田孝子/3代目女将が詠んだ句。のれんを守るという意識がたいへん強かった女性で、極端なことをいえば、多少家族に犠牲があってもお店のほうが大事という人だった。
【六本木龍名館「花ごよみ」】
老舗旅館の伝統から生まれた、しゃぶしゃぶと日本料理の店。
●株式会社龍名館
千代田区神田駿河台3-4
電話:03-3251-1135
http://www.ryumeikan.co.jp

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