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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第32回 株式会社栃木屋

お話:3代目 栃木一夫さん(記事公開日:2014年2月13日、文:竹田令二)

■はじめに

――機構部品というのは、機械の筺体におさまっているから見えない。しかし部品として堅牢さなどが求められる。いい加減ならば、本体の機能を支えられない。日本のモノ作りを支える裏方だ。
 機構部品・機械部品の栃木屋は昨年創業100年を迎えた。100年は「鍋、釜、包丁」の金物屋サンから、機構部品という金物へと進化、拡大してきた3代記だ。
【製品群】

■初代 栃木亀吉( ~昭和24年[1949]没)

「ないものはない金物屋 栃木亀吉商店」
 初代の祖父の亀吉は栃木県栃木市から、内神田の現在の本社にあった金物店に働きに来て、のちに同郷の祖母のカイ(昭和58年[1983]没)と結婚しました。その後、勤め先の事情で、麻布十番(港区新網町)に店を構えた、と聞いています。祖父の記憶はほとんどありません。私が2歳になる前に亡くなりましたから。可愛がってくれた、と聞いています。「ないものはない」というので、ある時、父に聞きました。「ないものがあったらどうするんだ」と。そうしたら「(だから)ないものはない」って(笑)。
 麻布の店は昭和20年に戦災で焼け、今の内神田の地に店を移した。昔、働いていた店の場所です。当時住居は、目黒区洗足にありました。母の連子は青森から女子挺身隊員として大森の日本電気(NEC)の寮に来て、縁があって祖母に気に入られ、戦災のさなかの20年7月に式を挙げました。
【栃木屋の前身「栃木亀吉商店」】
【栃木亀吉氏】

■2代目 義夫( ~昭和62年[1987]没)

「通信機用機構部品 栃木屋」
 移ってきたのはいいのですが、店を建てても、売るものもロクにありません。父は近くの工場に洗濯バサミを作ってもらい、売ったりしました。そのうち日本電気(NEC)から米軍の無線機の部品が持ち込まれ、その部品を作ってくれとの注文。「鍋、釜、包丁」の金物屋、「これも金物だから」という理由だったらしかったです。父はNECに勤め、通信兵として応召、復員後はNECの玉川工場で、電車の放送設備の部署で働いていました。そんなこんなの縁で、寮に鍋、釜、箒を納入したりするなど、実りを結んだようです。NECの通信用の機構部品の仕事へと本格的に舵を切り、移転4年後の昭和24年に株式会社に衣替えしました。私が小中学校時代のころは80%がNECの仕事でしたね。
 当時、機構部品の基準がなにもありませんでした。いい品質の部品を提供したことでNECの設計図面にわざわざ「栃木屋№○○」と部品指定を書き込まれ、富士通や東芝、日立など業界大手から注文が入ってきました。そこで父は機構部品のカタログを通信業界で初めて作成しました。基準作りです。
 でも、自社生産でなく、洗濯バサミ方式なんです。図面を作って、作り先を探す。今でいうファブレス。

――進取の精神は昭和69年に、店を本社ビルに建て替えたときにも出ている。6階建てのビルにしたが、1階を店舗とし、各階を業務内容ごとのフロアにすることで効率化を図った。「戦略的な店舗改造」と話題になった、という。

 父は私から見ると温厚な人でした。社員にはこわがられる半面、尊敬されていましたね。
【2代目義夫氏】
【改築後の本社ビル(1969年)】

■3代目 一夫(昭和22年[1947]生~ )

「あらゆる産業でお役に立つ 栃木屋」
 妹との2人兄弟です。大学の経営学部を出て、父親の友人の会社に就職して、希望で大阪に。栃木屋入社は大阪営業所で昭和50年1月でした。当時、社員は4人くらいしかいませんでした。2年後本社に転勤、昭和62年に父が亡くなったので社長に就きました。
 父の時代は、お客様からもらった図面で作り納めるやり方でしたが、今は提案していくやり方に変えています。通信用機構部品から自立です。でもね、図面を提出すると、その図面をもとに急に入札に変更されるなんてこともありましたが。
 大手よりも先に行くアイデアを提供しないと、受注につながりません。そのために、お客様とのコミュニケーションをしっかりとる、それしかありませんね。それを支えるのが、これまでの知識、知恵を集積した技術作りです。

――平成12年に『お客さんに満足してもらうこと』を目指すシステムであるISO9001認証を取得した。15年には環境に配慮したシステムである14001認証も取得している。年3回発行している新商品情報を掲載した、情報便「とちのき」は93号を数えている。
 
 上が口を出さないほうがいいと思います。現場のアイデアを尊重したほうがいい。ベテランになると、若い人の提案に「それは以前やってうまくいかなかった」「あそこは営業に行っても無駄」など、過去の自分の経験で後輩にものを言いがちですが、「そういうことは絶対に言うな」、と言っています。栃木屋のホームページの「採用情報」には「おもちゃ箱みたいな面白さをみつけられる会社」がありますが、社員が提案したキャッチコピーです。
 2009年に株式会社化して60周年記念の年を迎えようとした前の年、リーマンショックに襲われました。60年記念をどうしようかと迷いましたが、盛大にやりました。『企業30年』と言われ、変わらないと生き残れない。社内への精神革命の意味も、リーマンショックで落ちたから、逆に景気をつけようって気もありました。
 
――60周年記念誌「温故知新」のあいさつ文に、次のステップは「継続企業から永続企業へ」と記されていますが、次の栃木屋のキャッチコピーは何でしょうか?
 
 イノベーション、国際化……、でしょうか。
(美名子夫人との間には)息子が3人います。長男渉(昭和57年生まれ)、二男悠(同59年生まれ)、三男啓(平成2年生まれ)。上二人はそれぞれ就職した会社の支店があるバンコクに駐在中。三男は昨年、就職です。後継ぎはまだ決まっていませんが、「4代目は3人のうちの1人だけだよ」と言ってあります。
 会社が100年続くことが出来た理由を昨年(2013年)の新年会で話しました。ご縁、ビジネスモデルの転換、イノベーションの遺伝子、一生懸命働いてくれた社員です。
 趣味は、公式にはヨットとゴルフですが、鉄道模型ファンです。父は時刻表のファンでした。旅に行くと『もうすぐ○○列車とすれ違う』と言うんです。父は交通公社に入りたかったんです。
 
 なかなか人目に付かなかった、栃木屋の機構部品。最近は人目に触れることも増えてきました。例えば、新幹線のコート掛け。使わないときは出っ張らず、使うときに引き出すアレです。駅のホームドアーのハンドルロックにもうちの「THA-457」が使われています。丸形のものです。見てください。
 
――「ないものはない金物屋」の進化が続いている。
【3代目一夫氏。写真右は一夫氏と美名子夫人】
【左より長男渉氏、三男啓氏、二男悠氏】
●株式会社栃木屋
千代田区内神田2-11-1
電話:03-3254-2041(本社)
http://tochigiya.jp/

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