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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第42回 株式会社リーテム

お話:5代目 中島 彰良さん(記事公開日:10月15日、文:竹田令二)

■はじめに

――江戸時代は竈の下の灰まで売買するほど、徹底したリサイクル社会。「もったいない」精神に満ちていました。その眼からすれば、現在の東京は宝の山、リーテムはその精神を受け継ぎ、時代の先頭を走っています。
【エコマネジメントの概念図】

■初代 中島 新次郎(明治42[1909]年就任~昭和13[1938]年退任)

 曾祖父は、茨城県常陸太田市の天下野町の出身です。天下野は江戸時代、水戸藩のお狩り場のあったところで、藩主がおいでになった時、我が家に泊られたと聞いています。市内には70年に一度の大祭礼で有名な金砂神社がありますが、この神社ともつながりがあると母から聞いています。
 曾祖父は「世のため人のために」と起業を志し水戸に出てきました。明治42[1909]年に中島商店を創業。繭を扱うなどいろいろなことに挑戦し、時代の流れとともに、金属を扱う仕事に移行しました。曾祖父は品物を持ってきてくれた方にはおにぎりや樽酒をふるまい、食料のない時代に皆様に喜んでもらいました。結果として、大勢の人が並ぶほど品物を持って来ていただいたそうです。世の中を見る目が広く、「出会った方には必ず喜んでもらった」と言い伝えられています。事業は繁栄し、貴族院議員にも推挙されましたが辞退し、50代の若さで亡くなりました。 
【初代新次郎氏(画像上)と旧社屋[明治後期の建物](画像下)】

■2代目 新次郎(2代)(昭和13[1938]年就任~昭和46[1971]年退任)

  祖父は、初代の長男で、2代目新次郎を襲名しました。私は非常に可愛いがられ、様々な事を教えられました。大変オシャレな人で、着物も大島や結城を好み、着物の裏地に絹の浮世絵を使ったものもあります。時にはボルサリーノの帽子をかぶり、英国紳士のような格好の良い出で立ちは今でも忘れられません。
 弊社創業の翌年、日立製作所ができました。日立製作所との関係が深まり、初代、2代とのエピソードもいろいろ聞いております。
 当時、茨城県内の所得番付では5本の指に入っていました。付近に宿屋がなかったこともあり、水戸に来た要人は我が家に泊まったそうです。戦時中は将校宿舎になり、戦災も免れましたが、東日本大震災では、ひびが入ってしまいました。広い家の座敷では、雨の日に野球が出来たくらいでしたが、次第に隙間風も入る家になりました。
 家の角はガラス張りになっていて外が見渡せたので、出勤してくる従業員の方たちに分け隔てなく挨拶をする謙虚な人でした。また常日頃、家の周りやご近所を掃除していました。町会長を約30年務め、人様に還元する意識が強く、奉仕することが好きでした。
 どの神様ということなく「すべての神様が守ってくれる」という考えで、今でも自宅の庭には100年以上前の笠間稲荷神社を勧請したお社があります。
 数カ所あった工場を統合し、昭和45[1970]年に約1万坪の水戸工場を建設しました。
 戦後、物のない時代には、祖父は何でも集めました。曾祖父同様、品物を持ってきた方にはいろいろふるまい、皆様に喜んでいただきました。東京進出も祖父の代で、祖父は常磐線に乗り、水戸より上野駅に降りて、ひらめきで「ここだ」と神田に土地を決めたそうです。
 昭和27[1952]年に東京支店を神田末広町に開設し、これが現在の本社となりました。祖父は先見の明があり、常に新しいことを取り入れました。戦後アジアからの留学生の保証人をたくさん受け入れお世話しました。国際感覚に優れ、総てを大切にする人格者でもありました。
【2代目新次郎氏(画像上) と昭和45[1970]年建設当時の水戸工場(画像下)】
【画像上:2代目新次郎氏が創設した茨城県資源回収事業共同組合の看板、画像中:中小企業界の振興発展に貢献した功績が認められ受賞した「名誉副総裁賞」の表彰状、画像下:社訓『毎朝大きな声で唱えました』】

■3代目 峻(昭和46[1971]年就任~平成2[1990]年退任)

 父は、大学を卒業してから実家の仕事に従事しました。堅実な人柄で、人の悪口を言ったことがなく、母は「我欲のない神様みたいな人」と言っています。祖父の敷いた路線もあり、海外が好きで香港や中国との親善を深め、フランス光の芸術会の会長も務めました。
 水戸工場が完成しても、父と長兄(4代目)は、車を処理することは控えました。「自動車のリサイクルは最終的に自社で全て処理しきれないごみが出てしまう。」との考えから、非鉄金属の抽出を中心に処理を行うことになりました。「環境に良いものを」という初代からの考え方が根付いていたからだと思います。
 一方で、のんびりした面もあり、仕事より勉強が好きな学者タイプで、平成2[1990]年に引退しました。
 
【峻氏】

■3代目夫人 早東子

 母早東子は、祖父新次郎と父峻に「どうしても」と見込まれ、嫁いできたそうです。当時の中島商店は活況があり忙しく、母も家業を手伝っていたそうです。祖父や父に起こる様々な出来事を解決し、社業や家業を支え、3人で乗り越えたことも多々ありました。
 母の支えなくしては、現在のリーテムが存続することは有り得なかったと思います。
 祖父、父、兄、私たちを見守り、「人様の喜ぶことをしてください。感謝の気持ちを忘れず、自分の信念を貫いてください」と常に導いてくれます。 
 母は嫁いでからの約60年間、ほぼ毎朝神社参拝の後、決まった場所で日の出を詣でるなどの鍛錬をする人で、信仰心が強く、宗教を問わず大自然の中にいる全ての神様に合掌しています。水戸八幡宮からは、神社の上部に据え置かれる紋章を頂き、個人の家ですが分社された感があります。今年の10月で87歳になる母は、今でも出来る限り皆様のお役に立とうと心がけ、日々精進しております。
【早東子夫人】

■4代目 賢一(平成2[1990]年就任~平成19[2007]年退任)

 長兄の現会長は、大学を卒業してすぐに入社し、工場をはじめ幅広く事業を行いました。皆に好かれる穏やかな人柄で、本人はビジネスよりも学究肌のため、早稲田や慶応の大学講師も務めています。長年の経験を活かし、市場動向など世の中を客観的にみることのできる人で、国からも助力を求められ、経済産業省の産業構造審議会の委員などを長年にわたり担っております。「家電リサイクル法」「パソコンリサイクル法」「小型家電リサイクル法」の作成にもかかわりました。
 平成9[1997]年に社名を「株式会社中島商店」から『株式会社リーテム』に変更しました。「リーテム」は「リソース・テクノロジー&マネジメント」の頭文字からとったものです。
 東京都の公募があり、大田区城南島(東京スーパーエコタウン)の用地を入手し、平成17[2005]年に、東京工場を建設しました。
 東京は廃棄物を出すばかりで、千葉県や茨城県、栃木県は受け皿でした。発生する地元東京で処理し、再利用できるように循環させることがベストです。
 東京工場に大型のシュレッダーを導入し、都内リサイクルの夢が実現しました。廃棄物を遠くから運ぶことで消費されるエネルギーやCO2の発生も、地元で処理ができれば削減でき、また再資源化した材料を売却できて地元にも多くのメリットを与えます。環境に配慮した住みよい国土づくりに貢献したいとの考えで、現在も日々努力しています。こうした功績が認められ、平成22[2010]年10月には、東京都より個人に贈られる技術振興功労賞を受賞しました。
 長兄は次第に公的な仕事が忙しくなり、「ビジネスに時間を割くことができない」と、平成19[2007]年10月、社長の椅子を私に引き継ぎました。
【賢一氏】
【平成17[2005]年に建設した東京工場(大田区城南島)】

■5代目 彰良 (平成19[2007]年就任~ )

 私は姉と5人の男兄弟の3男です。祖父の影響で子どものころから海外に行っており、大学卒業と同時に海外へ出ることは何の違和感もありませんでした。仕事の関係で世界中を周り、特に若い時はアメリカ・ヨーロッパが多く、仕上げはイタリアのミラノに1年半住み、数年かけて立ち上げたホテルを完成させ、日本に戻って兄弟と社業を行いました。
 後継の代表取締役を選ぶ際、兄弟の話し合いで、「人を引き付ける魅力がある」「国際感覚に優れている」「経営者として仕組みを作るのが得意」との理由で、私が5代目を引き継ぐことになりました。次兄(現専務)は資源を見る目に優れ、金属のことならすぐに分析できる現場能力に長けています。また、4男は日本のイタリア料理の草分けシェフで、5男は水戸で漢方薬局を経営しています。姉は信心深く、5人の男兄弟と会社をまとめ、特別相談役をしております。
 私が就任してまもなくの平成19[2007]年に、本社の神棚の部屋を改築し、産土大神である神田明神様にお祓いをしていただきました。その年の7月のこと、リーテム東京工場に天皇陛下の行幸が決まりました。私がご案内させていただきましたが、あの時ほど緊張し、光栄に感じたことはありません。ご昼食も共にいただき、長時間の行幸でございました。100年の歴史の中で一番の名誉であり、感動的なことでした。
 平成10[1998]年に、全国リサイクルネットワークをつくり「広域リサイクルマネジメントサービス(J-RIC)」を組織化しました。当時はまだ、リサイクルマネジメントという概念はほとんどありませんでした。そこで各地の業者と提携してシステムを紹介し、それぞれの地元で処理するネットワークを作り、法的側面でも支援をしました。環境、エネルギー、資源などは、地域で共生することで、より効果が得られます。これが現在の特徴である環境マネジメント事業の最初の仕事でした。
 そしてさらに進めたシステムが、中国・天津で行われています。世界的な企業が生産拠点を置く天津経済技術開発区(TEDA)において平成22[2010]年に当社の提案で天津泰達低炭素経済促進センター(TEDAエコセンター)が設立され、TEDA全体の環境マネジメントを行っています。それ以降現在まで中国の工業団地の中でも、環境評価では長年首位を誇っています。これまでの弊社の提案が評価され、昨年は表彰を受けて戦略顧問に就任しました。今年も貢献した30人の外国人の1人として、また表彰していただけることになりました。 
 日本人の「気働き」や「和の心」が外国でも理解されれば、世界は大きく変わります。私たちの培った技術を海外で役立たせてもらえれば誠に光栄です。
 私は経営というのは、「世のため人のために奉仕し、いかに社員と喜びをシェアできるか」に尽きると思っています。苦楽を共にし、厳しい時も乗り越え、また感動もあります。
 100年以上続けてまいりました資源リサイクル&環境マネジメント会社として、皆様に感謝し、今後も更なる成功に向かい努力を続けてまいります。
 
――古着屋さんで3代使った振袖を見せてもらったことがある。山形の旧家から出てきたもので、最初は草花の文様の染められただけのものだったらしい。それが、娘に譲られるとき刺繍が施され、孫娘の手に渡った時にはさらに縫い箔などをほどこされた、という。人が作ってきたものには、思いがこもっている。たとえ、鉱山資源であろうと、役に立つまでにどれほどの人が携わってきたのか。資源再利用は、携わった人々の思いも大事にすることに通じるような気がした。
【曾祖父の着物を着る彰良氏。物を大事にする心に似合う】
【工場見学は小学生から業界関係者に至るまで幅広い層で年間約2000人に及ぶ。その他環境に関する講演会、イベントなども行い、平成13[2001]年から毎年CSR報告書を発行している】
●株式会社リーテム
千代田区外神田3-6-10
電話:03-3258-8586
http://www.re-tem.com/

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