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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第5回 和洋菓子 松屋

お話:7代目 西井伸樹さん(記事公開日:2011年5月17日、文:亀井紀人)

■初代・松屋伝兵衛、二代目・松屋伝兵衛

 創業は明和6年(1769)という永い歴史を持つ神田松永町の松屋は、伊勢の和菓子屋で働いていた初代松屋伝兵衛によって日本橋本町(今の三井住友銀行本店の一角)で生まれました。お出入り大名(大名御用達)から、独立を勧められたのがきっかけと聞いています。
江戸に出てきたものの、一代目、二代目(同じく世襲名松屋伝兵衛)、三代目(西井常次郎)と三代に亘って続く江戸の大火のたびに、建替えをしていましたが、三代目のときの大火の後、道を広げる区画整理が行われ、一度は神田柳原に移転しましたが、そこも焼かれ、土手の手入れもありましたので、明治27年に現在の地である神田松永町一番地に移りました。その後、常次郎はそれまで借地だったこの土地が、関東大震災後政府から半年間地代免除の交付があったのをきっかけに、当地を買い取り、以降ここで落ち着くことになりました。
【明和6年発行の口宣(くぜん)の写し】
 江戸時代幕府への献上金を納めた際に、正式な領収書を発行できないのでこのような口宣(くぜん)を領収書代わりと、また肩書き(大和大椽)の証明書とされた。
【目印の旗】
 江戸の大火で何度も家を焼かれているが、お出入り大名からその都度、援助として米俵が届き、それを売って店を再建した。この旗は、焼け地跡に届いた米俵に刺して、これは松屋のものだから誰も手を出してはならない、というの目印で使われた。この旗があれば、盗む者もいなかったよき時代だった。

■三代目・常次郎、四代目・喜助

 三代目からは、世襲名松屋伝兵衛を名乗るのは止め、その後は現在まで西井姓で通しています。理由は、世襲名を続けるには驚くほどのお金が掛かること、また華道、茶道、書道、能楽等と違って、東京の和菓子屋ではこの時代をもって世襲名を残す店は、松屋と同様になくす方向にあった事がいえます。
江戸期は、幕府が浅草の松福寺にお出入りの和菓子屋を集め、献上金の額次第で、屋号に御三家以外の国の名を付けても良い権利を与えたそうです。
当店も、伊勢出身ですので大和(やまと)を名乗り、正式には、松屋大和大椽(だいじょうは最高位の名称)でした。その後、松屋大和を屋号としていましたが、先代のときにケーキも扱うようになり、松屋にしようと決めました。
江戸期での和菓子は生菓子で、庶民には手の届かない、大変高価なものでした。味は砂糖の量を多くすることで保存していましたので、甘すぎて今の時代には合わないでしょう。現在店にある「松最中」は、明治に入ってからの菓子なので、甘味も当時より控えめになっています。
四代目の喜助は神奈川の和菓子職人出身で、養子として来てくれました。
【菓子仕入れの鑑札書と印鑑】
 菓子仕入れの鑑札書と右にある印鑑は江戸末期から明治初期まで創業地の日本橋本町で使われていたもの。
【明治27年5月発行の菓子製造営業免許鑑札書】
 これがないと、貴重な砂糖の仕入れが出来なかった。既に現在の住所と同じ、神田松永町一番地となっている。

■五代目・道平

 五代目道平は私の祖父にあたります。私が小学4年生の時まで存命でしたので、記憶は鮮明です。仕事をしている姿は見ていませんが、神田の旦那らしく地域活動に熱心で、以前の佐久間小学校である和泉小学校前の、計画になかった歩道の整備や、地下鉄の出入り口を追加させるなど、地域活動を先頭に立ってやっていました。今では和菓子のジャンルに入るカステラは、当時は洋菓子で、祖父の道平の時代に戦後まもなくして作ったものです。
【昭和8年(1933)正月、店の前での集合写真】
 正面で座っているのが4代目喜助、その隣の背の高い人物が5代目道平、着物姿の女性の膝にいるのが6代目父淳雄。
【鯛の木製抜き型】
 昭和初期から戦後間もなくまで使われていた。練りきりの祝菓子用。

■六代目・淳雄

 六代目の私の父にあたる淳雄は、私が20歳の時亡くなり、2年間しか仕事を一緒に出来ませんでしたが、仕事には熱心で、旅行に行くと必ず、名物の菓子を土産で買ってきては、それを研究していた姿を思い出します。どら焼きは、父の代から始めました。
【最中の鉄製焼型】
 昭和7年から平成16年まで使われていた。

■七代目・伸樹

 そして七代目である私の時代です。苦労話は山ほどありますが、やはり景気の悪い時代はなにかと苦労が多いです。しかし、店の永い歴史を振り返りますと、新商品が生まれるのは、景気の悪い時でした。昨今も不景気といえますが、秋葉原が全く新しい街に再生された今、若者や子供にも喜んでいただける、「オリジナルプリントのどら焼き」を考案し好評です。デパートからもお誘いがありましたが、受け継がれてきたお客様と生産者の対面販売を大切にし、機械で量産せず、手づくりの菓子にこだわって、これからもやって行きます。
【店内の看板の前で七代目】
 明治の三筆、故巌谷一六氏による看板は戦災で消失したが、型紙を保存していたので戦後すぐに彫刻師故金子鉄新氏により復元したもの。
●和洋菓子 松屋
東京都千代田区神田松永町1
電話:03-3251-1234

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