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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第52回 株式会社文房堂(ぶんぽうどう)

お話:8代目 広瀬俊道さん(記事公開日:2020年2月5日、文:竹田令二)

■はじめに

 ――近年、真新しいビルが目立つ中、すずらん通りに古き良き趣のあるファサード(前面)を持つビルがある。絵の具やキャンバスなどの画材、文房具などを扱う文房堂だ。
【文房堂の紋章】
【2003年外壁修理を終えた本店外観】

■文房堂の沿革―8代目 広瀬 俊道(1957[昭和32]年生~ )

 申し訳がないのですが、企業としての歴史資料が乏しく、お客様からの問い合わせにもお答えできないことがあります。「おじいさんの遺品を整理していたら、パレットの下から「文房堂」の印が押されたキャンバスが出てきた。いつごろのものですか」とのお問い合わせをいただいたのですが、「申し訳ありません」。明治時代からの画材カタログなどの資料はあるのですが……、歴代社長についてといわれても同様で、「申し訳ありません」。
 創業は明治20[1987]年です。初代・池田次朗吉が現在地から20~30m離れた、神田区小川町にあった中西書店(現在の崇文荘書店がある場所)の一角で始めました。池田は中野出身で、日本橋丸善を始めた早矢仕有的とともに、福沢諭吉の薫陶を受け、丸善には西洋文化、言葉(書物)、文房堂には西洋美術(画材)の輸入販売を勧めた、と聞いています。中西書店は丸善の関連でした。
(筆者注:「丸善100年史」には「林の娘婿に当たる池田次朗吉に貸し与え、文房具の売買に従事させることになった」(P.96)とある)
 初代から4代目までは代々「池田次朗吉」を名乗っています。大まかですが、明治・大正が初代、その後4代目社長までは創業家が社長を務めてきました。ビルの塔や包装紙などにも使われているマークの中央に「JIB」の文字がデザインされていますが、「次朗吉池田文房堂」からとっています。4代目の時にM&Aで音楽系の会社に買収され、ほぼ3年ごとに社長が代わり、現在は不動産系の会社の傘下です。私は6年前に社長に就任しました。オーナーから喫茶店経営の提案があり、平成28[2016]年に3階にギャラリーカフェがオープンしました。
【8代目 広瀬俊道社長】
【神田の大火で全焼後建て直した当時の文房堂と中西書店の様子、年代不詳。文房堂本店3階のギャラリーカフェ】

■オリジナル商品の開発 

 創業当初は絵の具やキャンバスなどの画材の輸入から始まり、のちにノートや五線紙などのオリジナルデザインの商品も扱います。明治25[1882]年にはフランス絵画のキャンバスなどを研究、日本の規格を決めます。尺貫法への換算の問題もあり、日本独自の号数規格になりました。「SM」(227mm×158mm)というサイズがありますが、これは日本独自です。明治11[1911]年には国産キャンバスの製造・販売も始めました。
 大正元[1912]年には油絵の具の研究をはじめ、同10[1921]年に国産絵の具を完成・発売しました。10年後の昭和5[1930]年にこの絵の具を国内の洋画家100人に贈り、「文房堂絵具による展覧会」を開きました。翌年、その使い心地を感想文に寄せていただきました。原文は行方不明になりましたが、元社員が亡くなった際、遺品の中にあるのが見つかりました。当時のそうそうたる画壇の方たちの感想であり、歴史的資料としても価値あるものなので、平成29[2017]年に、作家の写真も添え、さらに当時の画材と一般の物価や、小社の歴史なども添えた『文房堂アーチスト油絵具使用感想文画家99名』として出版しました。店頭で販売しています。
【カタログの表紙と文房堂油絵の具】
【文房堂の絵の具の感想文】
左上から時計回りに石井柏亭、林武、梅原龍三郎(『文房堂アーチスト油絵具使用感想文画家99名』より)

■関東大震災にも耐えた社屋

 社屋が中西書店から現在地のすずらん通りに移ったのは明治39[1906]年です。“間借り時代”の明治27[1892]年には神田大火で被災しています。自前店舗になってからは大正6[1917]年に店を拡張)、同11[1922]年には塔のある現在外観を残している3階建てのビルが完成しました。翌年に関東大震災が起きましたが、鉄筋づくりのため、倒壊をまぬがれ、朝日新聞社がその姿を撮っています。
 関東大震災を耐えたビルも、寄る年波に雨漏りなどもひどくなり、昭和64[1989]年に新本社ビルの建設が始まります。皆さんから前面の外壁を残せとの声が強く寄せられ、残すことになりましたが、大変です。旧ビルは鉄骨のたくさん入ったビルでしたから解体も手間がかかるし、しかも、ファサードを支えながらですから。結局前と後ろから作り、中央でつなぐ方式になりました。費用も工期もかかってしまいましたが、平成4[1992]年に千代田区から「都市景観賞」をいただきました。東日本大震災の際には、ビルの中央に「亀裂!?」が見つかりました。しかし、この工法の地震対策で、地震の揺れを逃がすためにあえて前後を繋げず、隙間を作ったことがわかり、ほっとしました。要は隙間を隠していた目張りがとれただけのことでした。
【明治42[1909]年当時の店舗外観】

■問屋業からの転換

 当初、1階の入り口付近は吹き抜けでした。店に入ると奥の画材コーナーまで何もなく、当時の社長から「これでいいの? 団子でも売ったらいいんじゃないか」と言われてしまいました。お客様を招き入れる工夫をということだったのだと思います。「文房堂らしいものを」と絵のモチーフになるようなものを集めて、入ってもらおうとなり、最初は、アフリカ系のエスニックなマスクなどが画家たちに影響を与えていたので、扱ったところ、売れました。一方で、他の画材店から「画材をやめるのか?」と問い合わせもあったりして……。一時は岡本太郎の「太陽の塔」をデフォルメした「ガチャガチャ」も置きました。好評を得て6年くらい続けました。当初、商品選定は男女3名でプロジェクトを組んで担当していましたが、次第に女性社員が担当するにつれて、商品の質も変わって、今はどちらかというと可愛らしいものが増え、女性のお客様も増えました。
 
 以前の文房堂は画家などの専門家向けの店で、ケースに入った石膏像がずらりと並び、一般の方たちには入りにくいオーラがありました。一方で画材の問屋業も兼ねていました。販売量も出ないし、利益幅も薄い経営体質でした。そこで問屋業から足を洗い、画材メーカーに転換しました。いろいろなものを開発・販売していますが、平成6[1994]年にはペーパークリップ「クリッピー」がグッドデザイン賞などを受賞しました。「クリッピー」は別の器具を使わず、簡単にクリップできるものです。実は、複数のキャンバスを持ち歩くとき、くっつかないようにするキャンバスクリップというのがあるのですが、それを作っている工場が持ち込んできました。これを文具見本市に持っていったら一気に売れました。
【かつて吹抜けとなっていた1階は、現在、文房小物を扱うコーナーに】
【ペーパークリップ「クリッピー」】

■絵画の広がりを目指して 

 画材メーカーとしては、絵画のすそ野が広がってくれればありがたいです。平成5[1993]年に「文房堂アートスクール」を開講しています。当初は24講座でしたが、今は72講座あります。生徒さんからすれば、曜日や授業時間が合わないであきらめざるを得ないケースもあります。それを防ぐために生徒さん本位で同じ内容でも7~8講座あります。ですから講師の先生だけでも40人もいます。生徒さんは約800人います。きらぼし銀行とタイアップして生徒さんの作品を展示する「スクール展」も開催しており、中には“売れた”作品もあります。
 社員は正規非正規合わせて40人ほど。店内ばかりでなく、学校などへの営業職もいます。仕事柄、「絵を描く時間が欲しいのでアルバイトで」なんていう人もいますが、やめるという人はあまりいません。「絵と両立できることが分かったから、正規にしてほしい」などと正社員になった人も少なくありません。社員の作品を展示する「スタッフ展」を3年前から始めました。「何人出してくれるかなぁ」と最初は心配でしたが、今は20人くらいが出展しています。社員の自主性が発揮されていると思います。
 
 ――日本の中小企業は今、後継者不足で、廃業に追い込まれる事例が少なくない。文房堂はいち早く資本と経営を分離、今日まで続いている。また、人手不足、「働き方改革」が叫ばれる中で、絵画関連という事情はあるとしても、社員も自主性をもって根付いている。そこにお客様目線が育まれている。
 
【「文房堂アートスクール」の様子】
●株式会社文房堂
神田本店:千代田区神田神保町1-21-1
電  話:03-3291-3441(代表)
営業時間:10:00~19:30、年中無休(年末年始除く)
※4階:文房堂ギャラリーは18:30/6階:額縁売場は18:00まで。
http://www.bumpodo.co.jp/

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